詳細プロフィール

ご覧いただきありがとうございます!
YGS -Yuga Guitar School- 三浦です。
本記事は私の個人的なプロフィールになります。
私の趣味嗜好や過去の経歴についてというよりかは、「今の私を形作っているもの」についてお伝えしようと思います。
あえて人に話さないような内容を書いています。
誇張したり卑下したりせず、ありのままのことを書きます。
また、言葉の選択については、あえてオブラートに包まず、伝わりやすいありのままの言葉を使っています。
一部、ご不快な思いをさせてしまう可能性がございます。
ご理解の上、読み進めてください。
ご興味がありましたらご覧ください。
目次
- 職歴
- ギターとの出会い
- 脱サラしてギター講師へ
- スピリチュアルとの出会い
- 死を感じた経験
- 今の私を形作る要因となった「本」
- 今の私を形作る要因となった「動画」
- 最後に
1. 職歴
高校を卒業後、東京ガス株式会社に入社。
会社員として働きながら、7丁目ギター教室のギター講師として活動開始。
その後、9年間勤務した会社を退職し、ギター講師を本業とする。
スピリチュアルカウンセラーとして活動開始。
2年間務めた7丁目ギター教室を退職し、独立。
個人ギター教室:YGS -Yuga Guitar School- を創設。
スピリチュアルカウンセラーの活動を辞める。
現在に至る。
2. ギターとの出会い
中学時代
中学2年の時、叔父にアコギをもらう。
これがギターとの初めての出会い。
しかし、この時は三日坊主で、すぐ弾かなくなって置物と化していた。
中学3年、シンガーソングライターのYUI (yui) さんを知り、よくYUIさんの曲を聴くようになった。
YUIさんの影響でギターを弾きたいと思い、再びギターを弾き始める。
これが本格的にギターと関わる始まりとなった。
まずはYUIさんの弾き語りスコア集を買い、最初の1年くらいはひたすらYUIさんの曲をコピーしまくった。
これで基本的なコードやストロークパターン、アルペジオに慣れていった気がする。
以後、独学で弾き方を学んでいくことになる。
今まで教室に通ったりレッスンを受けたりしたことはなく、音楽の専門学校や大学に通ったこともない。
弾き方などは基本的にはYouTubeで学んでいった気がする。
私が中学の時は、YouTubeができて流行り始めたくらいだったと思う。
特に「なつばやし」さんの動画をよく見ていた記憶がある。
高校時代
高校に入学し、軽音楽部に入部。(弓道部も兼部、弓道は小6から始める)
そこでクラスメイトとバンドを結成。
エレキギターも弾き始める。
文化祭で初めて人前で演奏する。
バンドとして演奏する楽しさや、人前で演奏することがとても気持ちの良いことに気づく。
また、ドラムやベースを初めて触れる機会にもなり、ギターと同じくらいドラムやベースも楽しいことに気づく。
のちに、たまにドラムを叩くようになり、ベースは7丁目ギター教室の時にお教えすることになる。
そして、DTMにも取り組むようになる。
DTMといっても簡単なものであり、ドラムとベースを打ち込んでバッキングトラックを作るようなもの。
その後、バッキングトラックを作り、ギターを弾いて録音、演奏している様子を録画し、演奏動画を作るようになっていった。
客観的に自分の演奏の様子を見ることで、他の改善点が見えてくる。
演奏動画を作ることも、知らぬ間にギターのスキルアップに繋がっていたのかもしれない。
また、動画編集の楽しさにも気づく。
会社員時代
この頃、2か所のシェアハウスに住んでいた時期があり、そのシェアハウスメンバーとの関わりで、バンド演奏をする機会をいただいた。
合計3回ほどライブスタジオやステージで演奏する。(ドラムとしても参加)
その他、知り合いたちを集めて、友人1人と私で弾き語りをしたこともある。(友人が歌って私がギターを弾く)
人前での演奏した経験はそのくらいである。
7丁目ギター教室時代
その教室のギター講師になったタイミングで、ウクレレをお教えすることがあるため、ウクレレを弾き始める。
ベースもお教えする必要が出てきたため、ベースも改めて練習し始めた。
ウクレレやベースも独学で学ぶ。
この時期が、ギター講師としての基礎を学ばせていただいた時期である。
7丁目ギター教室は、生徒さん思いの教室だった。
生徒さんの好きな曲を練習することができて、生徒さんのレベルに合わせてオリジナルの譜面を作ってくれる。
そのような方針が私と合っていた。
そこでは、耳コピや譜面の作り方、レッスンのやり方、生徒さんとの関わり方まで色々なことを学んだ。
これらは間違いなく今のギター講師としての基盤となっている。
しかしある時から、利益も重視しなければならず、運営側から生徒さんが増えるように私だけのために研修を開催していただいたことがあった。
それはとてもありがたいことであったが、それと同時に自由さがなくなり、運営側からの思いが重く感じるようになっていった。
もちろん収入を得ることは生活するうえで必要なことであるのは間違いないが、それ以上に自由にできないのが苦痛に感じた。
だから、2年間務めた後、退職。
独立し、個人ギター教室 YGS -Yuga Guitar School-を創設。
運営形態を変えながらも、現在も活動中。
3. 脱サラしてギター講師へ
会社を辞めようと思ったきっかけ
高校時代、斡旋がきている企業の中から選んだ。
だから特別この会社に行きたいと思って選んだわけではない。
当時はやりたいことや学びたいことがなかったから「とりあえず就職するか~」と思って入社した。
その会社は給料が平均より高く、福利厚生がしっかりしている。
しかし、働き続けていくうちにやりがいを感じなくなっていった。
会社にいる以上は、やりたくないことやメリットを感じないことでも、指示やお願いされたことはやらなければならない。
そして、分社化することもあり、より幅の狭い業務を行うことが予想されていた。
異動しても同じような業務、定年まで行う業務が想像できる。
生活する上で最も多くの時間を仕事に費やしている。
そう思ったとき、「何のために今の会社で働いているのか」
ふと考えた。
その理由のほとんどの割合を占めているのは、「お金を稼ぐためだけ」ではないか。
数年同じ会社で働いてきて、お金以上に得るものはないのではないだろうか。
そう思うようになっていった。
そして、少なからず今よりもやりたいことや楽しいと思えることに時間を使えたらもっと幸せなんじゃないか。
その時に、漠然と会社を辞めようかな、と思い始めた。
退職すると決断できた理由
理由は3つある。
1つ目は、ギター講師の仕事が採用になったこと。
あるとき、友人がギター講師の求人を紹介してくれた。
そして、ダメもとでノリと勢いで応募してみたら採用された。
書類審査と面接をしたが、実技試験はなかったからありがたかった。
ギター講師業は楽しいしやりがいがある。
生徒さんが成長していく姿を見るのがとても嬉しい。
これで、会社を辞める口実にもなった。
2つ目の理由は、まだ結婚していないこと。
これも決断できた大きな要因である。
もし結婚していたり、子供がいたりしたらみんなを養っていかなければならないだろう(パートナー次第だが)。
そのような状況なら、大きなリスクをおかしてまでギター講師になりたいかと言われると、とても難しい判断になると思う。
実際、結婚していない事が良いのか悪いのかは分からないが、まだ自由にやりたいことができる状況にあることは確かだろう。
だから、なおさら決断するなら今しかないと思った。
なるべく早いうちに決断して行動に移さないと何もできなくなると思った。
3つ目の理由は、周りの方々が賛成してくれて応援してくれたこと。
退職する意向を伝える時、みんなから反対されるだろうと覚悟していた。
すでに書いたように、前の会社は一般的には安定している企業と言われ、平均より給料が高く、福利厚生も良い。
そのような会社を辞めて本当に良いのかと。
初めて退職する意向を伝える時はだいぶ勇気がいった。
最初はチームリーダー(係長?)だけに伝えた。
そして、いざ伝えてみると、驚いた反応はしていたが思ったよりすんなり納得してくれた。
予想以上に賛成派だった。
そこで結構肩の荷が下りた。
他の先輩や同僚、後輩に伝えても、驚きはするものの、みんな納得してくれて応援の言葉をいただいた。
本当にギリギリまで引き留めてきた人は1人だけだった。
でも最終的にはその人も「頑張れ」と言ってくれた。
もちろん家族も賛成してくれたっていうのも大きい。
みんなが私の思いや考えを受け止めてくれた。
周りの方々には本当に良い人しかいないと思う。
今までに関わったすべての方々に本当に感謝いたします。
4. スピリチュアルとの出会い
一時期、精神不安定になる
2023年春、前の会社を退職する直前、精神的に不安定になった。
自宅で瞑想をしていたら、突然、動悸がしてパニックを起こした。
心臓がとてつもない早さで動いている感じで、このままでは死んでしまうのではないかと本気で思った。
動悸がすることはこの時が初めてだったから、尚更かもしれない。
その後も瞑想しようとしたり、寝ようと目を閉じたりするとパニックになった。
当時、好んで瞑想をしていたのもあり、今後はろくに瞑想や寝ることも出来ないのかと不安や恐怖が襲った。
そのせいで余計に精神が不安定になり、鬱になりかけた。
そんな私を救ってくれたのは「スピリチュアルカウンセラー」だった。
スピリチュアルカウンセラーになるきっかけ
私が精神不安定な時に、私の母が「スピリチュアルカウンセリング」というものがあるということを教えてくれた。
母は前からスピリチュアルに関心を持っていて、スピリチュアルカウンセラーのことを学んでいたこともあった。
当時の私はそれに関心がなく、スピリチュアルに対してあまり信じていなかった。
しかし、なんとなくカウンセリングを受けてみようと思った。
そして、実際にカウンセリングを受けたら、日を追うごとにみるみるうちに状態が改善していった。
1か月も経たないくらいで前と同じ状態まで回復した。
今思えば、病院に行って薬を処方され、それを飲み続けることにならなくて良かったと思う。
この経験から、「スピリチュアル」というものを信じるようになっていき、カウンセラーに興味を持ち始める。
カウンセラーになる
私の状態が回復してから、カウンセラーを学び始めた。
母から、母の友人でもありカウンセラーでもある人を紹介してもらい、その方に直接お教えいただいた。
そして結果的に、2024年1月、(一財)日本スピリチュアルカウンセリング協会認定のスピリチュアルカウンセラーになった。
カウンセラーになってから数か月経ったのち、実際にカウンセラーとして活動開始。
この時は並行してギター講師としても活動を続けている。
カウンセラーを辞める
1年間活動したのち、カウンセラーを辞め、今では協会とも関わりはない。
カウンセラーを辞めた理由は、自分自身の状態を整え維持し続けることが大変だから。
また、実際にスピリチュアルカウンセラーとして活動したうえで、私自身のやりたいことではないと気付いたから。
もしくは、カウンセラーの役目としては私のやりたいことでもあるが、スピリチュアルな能力を使うことに疲れてしまった、と言った方が適切かもしれない。
しかし、カウンセラーを悪く言っているわけではない。
逆に、カウンセラーを学んだことで、スピリチュアルな視点を持つことができた。
そのことが今の私にとってとても大きなものになっている。
私自身の精神的な成長につながり、様々なものの本質に少しずつ気づけるようになった。
視野が広がり、視点が増えた感じ。
それに応じて考え方も変わっていった気がする。
5. 死を感じた経験
3歳、「自然終息性てんかん(ローランドてんかん)」という疾患にかかる
3歳の時に「自然終息性てんかん(ローランドてんかん)」という疾患にかかった。
それは、簡単に言うと繰り返し発作が起こる疾患のこと。
昔、親に聞いた話だと、夜寝ている時に急に発作が起きた。
あと数分病院に行くのが遅れていたら、一生後遺症が残っていたかもしれなかったらしい。
治るまでの間、毎日朝昼晩欠かさずに発作を抑える薬を飲んでいた。
これは、中学生になる前に完治したから、今はなんともない。
普通に生活している。
最悪の場合、もしかしたら、今でもいつ発作が起きるか分からない不安と恐怖に怯えていたかもしれない。
車やバイクも乗れていないかもしれない。
普通の生活が出来ていないかもしれない。
そう考えると、今は普通に生活できているだけで幸せなことだと思う。
19歳、バイク事故
会社の同僚と箱根にツーリングしに行った時のこと。
峠道を走っていて、結構スピードを出していた。
カーブを曲がろうとしたときに、バイクが滑って転倒。
山頂側(土や木がある方)に激突した。
土や木がある斜面とバイクに挟まれて身動きが取れなかった。
動くと痛くてどうしようもできない状況。
そこに同僚が助けに来てくれて、バイクを起こしてくれて助かった。
もし反対側(ガードレール越しの崖)に転倒していたら、ガードレールとバイクに挟まれていたかもしれない。
もしかしたら、ガードレールを飛び越して崖から落ちていたかもしれない。
そうなっていたら、生きていなかっただろう。
バイクが転倒したとき、本気で死ぬと思って、見ているものがスローモーションになった。
気持ちはいたって冷静。
「あっ、死ぬ」っていう他人事な感じ。
肘や脚が擦り傷程度で済んだが、今でも傷跡は残っている。
今思えばバカなことしたなと思うが、当時はそれに楽しさや快感を感じていた気がする。
21歳、車全損事故
車で峠道を全力で走っていた。
小雨が降り始めた時、タイヤが滑ってガードレールに激突。
車はフロントがグシャリ、全損だった。
でも、自分は無傷。
むち打ちすらなかった。
車に守られた感じ。
あの時は恐怖感が全くなくて、体全身が痺れるようなアドレナリンが出ているような感覚がたまらなくて、生きている実感があった。
今は怖くて当時と同じことはできないし、やろうとも思わない。
24歳、会社の同僚が亡くなる
入社当時から一緒に研修したり、たまに飲みに行ったりする同僚だった。
その同僚が突然亡くなった。
夏、友人たちとBBQして遊んだ帰り、海で見つかったらしい。
原因は不明。
自殺なのか事故なのかも分からない。
その同僚のお葬式に行ったとき、声に出して泣いた。
まだやりたいことがたくさんあっただろう。
「人生まだこれからなのに」と。
「やりたいこと、まだ何も出来ていないよ!」
そう思うと、悔しくて悔しくてたまらない。
明日死ぬかもしれない。
明日も生きていられる確証はない。
時間も有限。
だから、毎日悔いがないように生きようと決心した。
考え、感じていること
上記のことがあっても、今も生きている。
しかも不幸中の幸いが続いている。
だから、なんか自分が生かされている感じがする。
「まだ死なせないよ」と言われているかのよう。
昔は無茶ばかりしてきたけど、今は自分の命を大切にしなければならないと思う。
人は生きていることに価値がある。
人という存在自体に価値がある。
何が出来て何ができないということは関係ない。
センスやスキルの有無も関係ない。
生きている限り価値はあり続ける。
死んだら価値はなくなる。
6. 今の私を形作る要因となった「本」
今の私の考え方になった要因の1つに「本」というものがある。
それらを紹介しようと思う。
本の内容は割愛する。
ご興味があればご自身で調べたり、実際に読んだりしてみていただきたい。
①『嫌われる勇気 』
著:古賀史健 、岸見一郎
出版:ダイヤモンド社
②『 』
著:パウロ・コエーリョ
訳:
③『老子』
著:老子
訳注:蜂屋邦夫
出版:岩波文庫
④『
訳:中村元
出版:岩波文庫
⑤『三教指帰』
著:空海
訳:
⑥『 』
著:セネカ
訳:大西英文
出版:岩波文庫
7. 今の私を形作る要因となった「動画」
① 〇×感覚
② 引き寄せの法則
③ 幸せを買う方法
この動画は英語なので、英語が聞き取れない方は日本語字幕をつけることをお勧めします。
④ あなたが生まれる前に忘れてしまったもの
この動画も英語なので、英語が聞き取れない方は、英語字幕(自動生成)から日本語(翻訳)に設定することをお勧めします。
また、少しスピリチュアルな内容です。
要約
- あなたは体を受け取る
- あなたは課題を受ける
- 間違いはなく、課題があるだけ
- 課題はそれらを学ぶまで繰り返される
- 生きている限り学びは終わらない
- ここより良い場所はない
- 他人は単なるあなたの鏡である
- 人生をどう生きるかは自分次第
- 人生の問いへの答えは自分の中にある
- あなたは生まれたときにこれら全てを忘れる
8. 最後に
当記事を書こうと思った理由は、
- ありのままの自分で生きること
- 私というものを知っていただく
- 安心してレッスンを受けていただく
そのような思いがあってのことでした。
もうすぐ30歳になるタイミングで、自分自身が良い意味で変化していきたいと思っています。
私が思い描く理想にもっと近づけるために、まずは自分自身をオープンにして、私自身を知ってもらうことから始まる気がしたのです。
三浦勇雅というものは、もちろん上記に書いた内容だけではなく、今までの経験のすべてが集結して、今の私になっています。
そして、受講生の皆さんとの関わりも大きく影響を受けています。
皆さんに出会えたことにとても感謝しております。
もしできるのであれば、私からも皆さんへ良い影響を与えられたらいいなと思っています。
そのためにも、これからも初心を忘れず、精進してまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
YGS -Yuga Guitar School-
三浦 勇雅